いつだって一寸先は闇

をたくの備忘録です。

幸せなヲタク生活のすゝめ 〜2021 夏〜

あなたの考える「幸せなヲタク生活」とは、何だろうか?

これについて、それぞれ考えることは三者三様であろう。このことを踏まえた上で、私の考える「幸せなヲタク生活」について、語らせて欲しい。

 

①推しを「生きる意味」にしないこと

 推しが生きる意味ではいけない。これを第一に断言したい。

推しが私の為に生きているのではないのと同様、私は推しの為に生きているのではない。推しは、私たちの生活を支えてくれる存在である。なんだか辛い時、どうしようもなく悲しい時、ちょっと落ち込んだ時。そんな時に、心が折れないように、挫けないように支えてくれる存在なのではないだろうか。次に会える日を楽しみに仕事を頑張る事ができたり、動画やブログの更新で笑顔になれたり、写真を見つめるだけでも、心が晴れやかになったり。推しは、ちょっぴり壊れそうな時の自分を支えてくれ、生活をカラフルにしてくれる、そんな存在だ。

 推しが生きる意味だと、必ず裏切りを感じることになる。どれだけ愛していても、どれだけ長い間見守っていても、どこまでいっても所詮は他人である。私たちが願う方向にいかないことは当然。突然姿を消すことだってざらにある。「大好きな人に裏切られる」ということは、どうしようもなく悲しいことだ。犯罪行為を犯す等以外で裏切りを感じることは、最小限に抑えることが得策だ。

 

②推しを1人に限定しすぎないこと

  ヲタクは熱中する生き物である。だからヲタクになるのだ。そんな熱中することが特技の我々ヲタクは、推しを1人にすると、全ての熱を全集中させてしまう。推しが複数いることで、いい感じに熱を分散することが出来る。

 何故、全ての熱を全集中させることを避けるべきなのかと言えば、①で先述したように、推しが自分の全てのような状況になりかねないからである。ヲタクをしていて何か辛いことがあったら、他のハッピーなことでカバーすれば良い。そのために、様々な楽しみを持つことは有効である。

 

③推しの人間性に期待をしないこと

 アイドルや俳優は、「仕事」として活動をしている。言うなれば、私たちは彼ら・彼女らの仕事をしている姿に惹かれているのである。無論、様々な情熱や目標、夢を持って活動していることは確かであるが、それでも仕事なことに変わりはない。仕事を全うしてくれている以上、その先までを我々ヲタクが期待するのは、なんとも酷ではないだろうか。職場の自分と友人の前での自分が全く同じではないように、推しも同じであろう。もしかすると、180°違う人格かもしれない。それでも、その人格を否定しないでいたい。受け入れられなくとも、「人間だから仕方ない」と割り切ることは、捉え方の大きな変化である。割り切っていても、落ち込んだり絶望することはあるだろう。それでも、期待しないでいようという心持ちでいることで、絶望の度合いは大きく変わるのではないだろうか。

 

④時間をかけること

 もはやチート手段であるが、長く推せば推すほど、結局幸せになると感じる。人には、時間の経過でしか得られない慣れと余裕というものがあるのだ。ずっと全力でなくていい。少し離れたっていいし、片手間にでもいい。どんな形であれ、長く応援するということは、ヲタクにとって良い効果をもたらすように思える。

 また、ヲタクの幸せを妨害するものの7割は同担絡みの問題だろう。歴は武器だ。同担のあれこれでの悩みは、歴から得た慣れと余裕でぶっ飛ばせるようになる。

 

 

 読んでいてなんとなく察した方もいるかと思うが、数年前の私はこれらを全て網羅しているヲタクだった。推しは人生の全てのように感じていたし、たった1人彼さえいればいいと本気で思っていた。のくせに、ブログやファン対応などに怒り狂ったりしていた。前述した3点は、全て私の経験から得た知見である。

 今でも定期的にブチ切れたりすることはあるが、どうしようもなく辛いことはなくなったし、推しについて悩むことは劇的に減った。なにより、嘘なく「推してて幸せ!」と言うことができる。以前の私はできなかった。別に推しが犯罪を犯したわけでもなく、炎上したわけでもないのに、なぜか辛かったから。

本来、好きというプラスの感情から始まったはずのヲタク生活のはずなのに、どうしようもなく悲しくなったり辛い気持ちを抱えてしまう。実際、そんな実態のヲタクはこの世に数多といるのではないだろうか。

私の得た知見が、少しでも心の支えになったり行動の参考になれば、それ以上のことはない。

 

全世界の悩めるヲタクが幸せに生きることを、心から願う。